紅葉を美しく感じるのは日本人特有の感性か?
秋といえばなんだろうか。視覚的に秋だと認識するのはなんといっても木々の紅葉だろう。
これから冬を迎え、世界が白一色に覆われる前に観ることができる美しい、赤とオレンジ色は目の保養になるばかりか、冬になる前に、「いっちょやってやるか」というような生命の気概をも個人的には感じる。
さて、この紅葉を見ると、毎度思い起こされるのが、「紅葉を美しいと感じるのは日本人だけ」といったどこかで見聞きした知識である。
そんな意外なことなどあるのだろうか。あの紅葉を見れば人種・民族関係なく、誰でも等しく美しいと感じ、感嘆しそうだが、実に意外である。
記憶に残る、ヨーロッパ人の紅葉への感想は、「寂しい」とかそんなものだったと思う。木々の葉が落ち、生命力が衰えているのであり、衰退への虚しさや寂しさを第一に感じるのだそうだ。
日本人だって、木々の葉が赤くなり、落ちていくのは冬に備えるために、ある種自分の体の一部を削っている現象なのだと理解することができるが、それにより悲壮感のようなものを前面に感じることはないだろう。
日本人が感じ取る、散りゆくものの美しさは独特な感性であるらしい。
桜が散るということにも美しさや、散る儚さが演出する刹那を愛でたいという感情が生まれる。
「散ることの価値観」には、先の大戦での日本人将兵の玉砕にも共有する部分があると思う。玉砕は人名軽視の恐ろしい戦術であったが、「清く散る」というような日本人にもともとあった感性を利用し、美化したものだろう。
一体この感情はいつから日本人の心に定着したのだろう。
日本人はなぜ散ることに心を揺さぶられるのだろう。
太古の日本人は、ゆっくりと移り変わる四季を嗜む精神的な余裕もあったのだろう。
日本は四方を海に囲まれ、他国との交流をあまりせずに独自の文化を育む時間があった。
もしかしたら、グローバルな感性に日本人の感性・気質は合わないのかもしれない。
でも、それでも、日本に生まれ、日本特有の感性に慣れ親しんでしでしまったのだから、日本の感性を十分に味わい尽くしたい。